夜話の座 Ⅱ                        2019 7.5~

   
 
明倫まちづくり委員会は、「夜話の座」を通じて学区の伝統を受け継いていきたいと考え

2003年から明倫学区にお住いの方、お仕事をされている方、行事に関わっている方々に

明倫の昔話や特有のお話、祇園祭のことなどを17回に渡り聞かせていただきましたが、

2007年2月を最後にしばらくお休みしておりました。

爾来10年余り、住まいされている方も変わられ、まちなかの様子も大きく変わってきました。

そこで2017年に、明倫学区で活動・生活する上での基本的なルールや習慣を再確認しないといけないという思いで

「明倫ルールブック」を作成しました。

この「夜話の座Ⅱ」も同じような気持ちで再開することに致しました。

明倫人の考え方、人と人との関係、佇まい等を考える機会としてこれからも定期的に開催していきたいと考えています。


                                                   明倫まちづくり委員会   長谷川明



第1回 風呂敷・鯉山、そして地域社会

座長 宮井宏明氏 宮井株式会社 代表取締役(鯉山町)

日時 2019年7月4日(木)19時から20時30分
場所 京都芸術センター 3階 ミーティングルームII
レポート:丹羽結花

 復活第一回を飾るのは鯉山町で風呂敷問屋をされている宮井さんです。室町繊維産業のあれこれをユーモアたっぷり、迫力満点でお話しくださいました。

 宮井さんは2代目の次男として白梅町で生まれ、小学校4年生から左京区葵学区で過ごされました。「大学は東京!」と決めていて、法政大学・経営工学に進まれました。卒業後、信託銀行で働き、お父様の急逝で、平成2年、宮井株式会社に入社。
平成12年に社長となられました。

 明治34年に油小路通錦小路西入で創業された当初、かけ袱紗を主に扱っていましたが、明治期に大量生産に切り替わった風呂敷がメインとなり、大正12年、関東大震災後、東京に進出。創業の地から烏丸通に面したところに本社を移転しましたが、昭和12年、「やはり呉服関係は室町が中心」ということで鯉山町に落ち着かれました。
戦時中はロープの生産などでしのぎ、戦後はデパートの取引が中心となり、商いも大きくなりました。高度経済成長期は作れば売れる時代でした。問屋では商品は自慢できるが、顧客管理はできない、小売は販売員のコミュニケーションによるものが大きい、だから百貨店によって売れる柄も異なってくるとのこと。もともとお祝いの記念品としての風呂敷ですが、今はそのような習慣も少なくなり、厳しい時代になったとのこと

。情報発信基地として「唐草屋」を開店しましたが、小売がメインではなく、デザインコンテストやワークショップなどを通じて若い世代に風呂敷のことを知ってもらうためであること、社長が軽い気持ちで言ったことも社員には重く思われたり、言い訳に使われたりするので、業務は社員に任せていることなど、社長業の極意も紹介いただきました。今年は鯉山保存会の理事長になられた宮井さん、後祭山一番を務める意気込みも語ってくださいました。




第2回 八幡山、三条町 今昔物語

座長 奥井好昭氏 奥井商店 代表取締役(三条町)
日時 2019年10月9日(水)19時から20時30分 場所 京都芸術センター4階和室

 子供の頃は大阪に住んでいましたが、空襲が多くなり、引っ越し先の滋賀県草津で終戦を迎えました。同志社中学校に進学、高校生になった昭和30年に京都に引っ越してきました。
父は、両替町三条上るで呉服の卸商を営んでいましたが、昭和32年、現在の三条町に引っ越してきました。当時、町内へ入るには不動産価格の何パーセントかを町に納めねばならず、また、八幡山の鳩の前掛の新調もあり、多額の出費要請が続き、父がブツブツ言っていたのを覚えています。

大学生になるとお祭の手伝いをするようになりました。昭和45年には主行事、昭和48年には理事となり、3人の役員で一から十までやっていました。 昭和58年、理事長になった時、土地を保存会の所有にするという大きな仕事を任されました。明治の登記にある15名をたどり、相続者として確定されたのが40名あまり。町内に住んでいた人は一人もおらず、役員で走り回ってハンコを集め、名義書換を完了しました。

ハードな仕事だったのでその後は理事長を引き、修復などの仕事に関わってきました。 以前は6月頃からお祭一色、「仕事は休む」「ケチ臭いことをしたらあかん」という感じでしたが、お祭も変わってきました。現在、町内で飾っている屏風は、土地所有者がマンションを建てる時、蔵の中にあった4点を町内で預かったもので、普段は京都府文化博物館にあります。
海北友雪「祇園祭礼図」は保存会の大切な持ち物で、戦前は土蔵から出していましたが、今は京都国立博物館に預け、宵山にはデジタル再現した複製を飾っています。

お祭以外の町内の行事として、お正月には朝10時、祠に集まってお参りをさせていただきます。8月には放生会があります。行事役は12月13日、事始めの時に引き継ぎます。

お扇子を前に置いてお話しされる奥井さん。大学に入ると同時にお母様に「謡やりやあ」と言われて能楽部に入ったのがきっかけ。「町の文化、教育に関する意気込みが京都には綿々と引き継がれています。謡やお茶を通して文化度を上げてきました。着物も芸能も廃れ、今まで引き継がれて着た形のままでは難しいかもしれませんが、歴史は繰り返します。回帰現象が起きるのではと密かに期待しています。」と締めくくってくださいました。





第3回 生まれ育った町と祇園祭

座長 岸本吉博氏
公益財団法人祇園祭山鉾連合会理事長/株式会社岸本商店相談役
日時 2019年11月20日19時から20時30分
場所 京都芸術センター ミーティングルームII


 昭和23年6月生まれなので、人生はほぼ祇園祭の戦後史と重なっています。祇園祭は昭和18年以来4年間途絶えていましたが、昭和22年に宵山の一部が復活します。進駐軍は旧丸紅のビルにおり、現在の経済センターは更地でジープが停めてあり、兵隊さんがウロウロ歩いていました。そんな状態でも復活するという、当時の人たちの強い気持ちをこれからも伝えていく使命感があると考えています。

 子供の頃は夜店の金魚すくい、ブリキの船や帆かけ舟が走るのを見るのが楽しみでした。虫も売られていて、カナブンの首に糸をかけてぶん回したり、蛍を虫かごに入れて愛でたり。当時の夜店には風情がありました。
ちまきを投げるという風習もありました。中には八坂さんの神紋が紅白の砂糖になったものをほおってくれる囃子方もいました。お祭をやっている者と観る者との交流があり、何ともいえない情緒がありました。このような楽しみが薄れてしまったのも残念です。

 昭和30年代、前祭が左回りになり、昭和41年には後祭が合同巡行になり、山鉾巡行が変化していきます。本当にこれで良いのか、関係者の間ではずっと議論がありましたが、吉田孝次郎さんが理事長就任早々、「本来の形に戻す」といきなりぶちあげたので大騒ぎになりました。「吉田さんは抱負を述べたのであって決定事項ではない」、私と福井副理事長さんであちらこちらに謝りまくりました。この時は地域の皆さんが「協力する」と言ってくださってとてもありがたかったです。みなさんの声のおかげで役所や警察も協力的になってくれました。

 山鉾連合会の仕事は山鉾行事を安全に遂行することが第一です。税金をいただいているので、第三者機関の審議が必要であり、これらを全て記録して次世代に伝えていくことも大切です。新しい時代に向けて警備とゴミゼロにはクラウドファンディングも試みました。都大路の祓い清め行事なので必要なことですし、自助努力も必要、公益財団法人として寄付を受けるにふさわしい法人になることも大切です。

 放下鉾の収蔵庫の中で古いものに囲まれていると「どうしても錯覚してしまう」という岸本さん。「その前の火事は元治元年の大火、箱書きに文化何年とか書いてあるとその時のことを知っているみたいな気持ちになる。三井家もそばにあり、資料に埋没して歴史の人物やできごとと同体化してしまう。」という言葉が印象的でした。

次回は深見茂氏
令和2年1月15日(水)19時よリ
京都芸術センターにて